1月12日は、当教会では春季大祭を勤めさせていただきました。
1月のお忙しい中にも、ご都合をつけて多くの方にご参拝いただき、誠にありがとうございました。
また、当教会では、1月から2月にかけて、年の初めということで、神様をお祀りいただいているご家庭や布教所さんでは祈祷祭をつとめさせていただいております。
その中で、先日立派な鯛を頂きまして、かねてから自分でも魚をさばけるようになりたいという気持ちがありましたので、前会長に「今日は鯛のお刺身にしましょう」と自信満々で宣言し、母に教えていただきながら、見よう見まねで初めてさばいてみました。
お刺身にしたいわけですので、3枚におろしまして、身と背骨の部分を切り分けて、皮もはがすと。しかしこれが大変に難しく、私のイメージではyoutubeの「初心者でも簡単、鯛の三枚おろし」の動画のイメージだったのですが、ふたを開けてみると、背骨にもたくさん身がついて、皮にもたくさん身がついて、なんとも不格好な三枚おろしが無事完成。
(「無事」というのは、とりあえずケガをせずにやり遂げたことに感謝ということです。)
さて、前会長さんには「お刺身だ」と自信満々に宣言してしまっていたので、急きょ「なんか、今回の鯛は焼くか煮るかした方が良いかもしれません」と謎の方向転換を伝え、結局、妻と母がすごくおいしい塩焼きと煮つけにしてくれて事なきを得たということがありました。
このことから私は、どんなに良い素材を頂いても、良い料理になるかどうかは料理人の腕次第、そして、その腕は一朝一夕で身につくものではないということを強く気づかせていただきました。
これを私たちの日常に置き換えるとするならば、日ごろ起きる大きなことも小さなことも、すべて神様から頂いている新鮮で最高の素材です。しかし私たちが、その出来事をどう料理するか、つまり自分の腹に落とすためにどう解釈、理解するか、その練習の積み重ねをしていなければ、私のように、折角いただいた立派な素材も、文字通り十分に生かすことはできないことになってしまいます。
教祖年祭という大変に意義のある本年、またこれまでの三年間もそうだったかもしれません。親神様から立派な鯛を頂く旬でありますし、きっと何かを頂けそうな気がします。その時に、私のように料理ができない、ということがないよう、共々に、小さなお料理からコツコツと経験を積ませていただこうと、年の初めに強く思いました。
本年も何卒よろしくお願いいたします。
岡庭正浩
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