久しぶりの投稿になってしまいました。
ここから3回にわたり、2025年4月12日のお話し会の内容をブログにまとめ直して掲載させていただきたいと思います。
第二回お話し会のテーマは「ひながた」でした。
天理教において「ひながた」は、信仰を進める上でのとっても大切なキーワードです。よく「教祖(おやさま)のひながたを辿る」と言いますが、そもそも「ひながたを通る」とはどういうことなのか。今回はその基本的な意味から紐解いていきたいと思います。
「ひながた」ってどういう意味?
まず、この「ひながた」という言葉を調べるにあたり、『天理教事典』を開いてみました。
事典によると、一般的に漢字で書くと「雛形」や「雛型」となるそうで、意味は「実物をかたどったもの」や「見本」ということ。
これを天理教の言葉(教語)として使う場合は、次のように説明されています。
「教祖(おやさま)が月日のやしろとしての立場で歩まれた50年間の生涯を、信仰生活の手本として仰ぎ、それを目標にして信仰生活を進めるべき」ということだそうです。
他と区別する意味もあって、天理教ではひらがなで「ひながた」と書くことが多いですが、これは簡単に言うと、天理教を開かれた教祖である「中山みき様」の信仰生活が、そのまま信仰者のお手本ですよ、ということです。
原典では
では、原典のひとつである「おさしづ」では、このひながたについてどのように仰られているか。
「ひながたの道を通らねばひながた要らん。ひながたなおせばどうもなろうまい。これをよう聞き分けて、何処から見ても成程やというようにしたならば、それでよいのや (M22.11.7)」
なるほど、これが天理教の人の生き方・考え方かと、周りの誰から見ても納得してもらえるように、教祖をお手本にして実際の自分の生活の中に映していく。これこそが大切だと神様は教えてくださっています。
50年間の「ひながた」
では、お手本となった教祖の歩み(50年間の生涯)とは、一体どのようなものだったのでしょうか。
天理教の神様(天理王命)は、当時41歳だった教祖のお身体に入り込まれて、神の教えを人間に伝え始められました。
そこから90歳でお姿をお隠しになるまでの50年間、教祖は私たち信仰者にお手本を示し続けられました。
私たちには神様を見ることも、声を直接聞くこともできません。しかし、教祖を通して初めて、見えない神様の思いや、人間が創られた真実を知ることができました。だからこそ教祖は「地上の月日」とも慕われるのです。
そして教祖はただ言葉で教えを説くだけでなく、私たちが目指すべき「陽気ぐらし」の生き方を、まるで何も分からない我が子に一つひとつやって見せるように、自らの行動(模範)で示してくださいました。ここに、私たちが教祖を「ひながたの親」と仰ぎ、慕う理由があります。
しかし、その50年間の道中は決して平坦なものではありませんでした。
次回は、教祖が実際に歩まれた具体的な道中と、それを私たちがどう受け止めるべきかについて、少し掘り下げてお話ししたいと思います。
(第2回に続く)
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