前回のブログでは、「かりもの」だからこそ、大切に使い続けられるのではないかということを書かせていただきました。 いよいよ今回で、第一回のお話し会「かしものかりもの」の内容は最終回ということで一区切り。 いろいろなものが神様からの「かりもの」であるということはわかりましたが、今回のブログでは、大前提としてのある疑問について。...
前回までのブログでは、「かしものかりもの」の平等性と無償性について書かせていただきました。 しかし、平等性と無償性ということであれば、「かりる」ではなく、「もらう」でもいいのではないかという疑問が浮かびます。 なぜ「もらう」ではなく「かりる」なのか。...
第2回「お話し会」の動画をアップロードしました。 これは、当教会の「お道の教えに触れる機会を増やす」という年間目標からの取り組みでもあり、また、私自身、誰にでもわかるように教理をお話しできるようになりたいという思いの元、企画しているものです。...
これまでのブログでは、「かしものかりもの」について、天理教の研究機関や原典ではどのように書かれているのかを紹介させていただきました。 今回は、身近な例から「かしものかりもの」について考えてみたいと思います。 私は、子どもが幼稚園とか小学校1~2年生のときに、よく一緒に図書館に行っていました。...
前回のブログでは、「かしものかりもの」について、天理教事典ではどのように書かれているのかを紹介させていただきました。 そして今回は、天理教の原典、特に「おさしづ」、「おふでさき」ではどのように説かれているのかを紹介させていただきます。...
天理教には、「かしものかりもの」という教理があります。 何か「貸し借り」をするときの教えかな?と思われるかもしれませんが、これは「どのようにして生きるか」にも通ずる天理教の教えの肝心かなめ。 私たちは神様から様々なものをお借りしている、という考え方で、天理教の人の報恩感謝の態度の中心にあると言っても過言ではありません。...