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「もらう」ではなく、なぜ「かりもの」?「かりものかりもの」④

前回までのブログでは、「かしものかりもの」の平等性無償性について書かせていただきました。

しかし、平等性と無償性ということであれば、「かりる」ではなく、「もらう」でもいいのではないかという疑問が浮かびます。

 

なぜ「もらう」ではなく「かりる」なのか。

私は、「かりる」という言葉の中には、大切に使い続けられるようにという神様の思いがあるように思うのです。

 

例えば、私は勉強のために様々な本を読んだりします。

それが自分の本であれば、見返したいページにドッグイヤーをしたり、線を引いたりしながら読んだりします。

しかし、図書館から借りた本であれば、私はそういうことはしません。それはなぜか。借りた本であれば、返す相手や、次に使う相手がいるからです。

 

 

「こんな年老いた身体、誰も次には使わないよ」なんて言わないでくださいね。

たしかに身体だけならそうかもしれませんが、これまでのブログで、この世は神の身体で、身の回りのすべての物は「かりもの」だと書きました。それは持ち物だけに限らず、あなたの家も、近くの駅も、駅前の草木も、私達を包んでくれている空気や空に至るまで。

 

それらがもしも神様からのギフトで「もらったもの」であれば、先ほどのドッグイヤーをした私の本のように、自分が使えればよいという使い方になってしまうかもしれません。ですが、次に使う人がいるのであれば、その人の為に大切に使うという使い方になるのではないでしょうか。

では、次に使う相手とは誰か。それは今の私たちの次の世代。

ここ数年で叫ばれているSDGsは、同じメッセージを持っているように思います。

 

しかしここで、またしてもある疑問が湧いてきます。

「かしもの」であるはずなのに、私たちは誰も神様に「貸して」とお願いしていないということです。

これについては、また次回のブログで書かせていただきます!

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